MIJINKO blog

大学生3人組による自由気ままなブログ

【プノンペン】ポル・ポトによる大量虐殺地、カンボジアのキリング・フィールドを訪れてみての感想

さんこんにちはMIJINKOblogのjohです。

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 少し前の話になりますが、私は大学の夏休み期間を利用して1ヶ月ほど東南アジアを旅しておりました。

数々の国を訪れたのですが、旅の最後に訪れたのがここカンボジア。

カンボジアといえばアンコールワット!と誰しもが思うでしょうが他にも見ておいた方がいい場所はたくさんあります。

その中の一つがプノンペンにあるキリングフィールド

 

キリングフィールドとは

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 皆さんは今から40年ほど前のカンボジアの虐殺の歴史をご存知ですか?

役40年ほど前、今のカンボジアはポルポト率いるクメール・ルージュという組織に支配された『民主カンプチア』という名前でした。

このポルポト政権が始まって以降、ベトナム軍とカンボジア救国統一戦線(ベトナムに亡命した反ポルポト派)に解放されるまでのたった4年間で、なんと総人口800万足らずのうち、200万から300万近くのカンボジア人が虐殺されてしまいました。

全人口の4分の1から3分の1が虐殺されたのですからそれはもう想像を絶します。

しかも同胞の手によって…

日本で考えたら3000万〜4000万人。

それほどの人数が独裁政府によって虐殺されるなんて想像することさえできませんよね。

キリング・フィールドとは、そのポル・ポト政権下のカンボジアで大量虐殺が行われた刑場跡の俗称のことを言います。

 

なぜそのような大虐殺が行われたか

フランス留学中、ポル・ポトはソビエト連邦の最高指導者スターリンの思想の影響を受け、後に政権を握った際非常に極端な共産主義を執り行いました。

ポル・ポトは「知識人はいらない。知識があるものは共産主義の邪魔になる」という考えを持ち、「原始時代のような平等な生活が理想」という思想をもとに政治を執り行っていました。

ポルポトはそんな政権に対して不要となる知識人を誘き寄せるため、このようなことを言いました。

「国の発展のために知識人、医者、職人、教師、などがいたら名乗り出て欲しい。君たちの知識、技術が必要だ」

この呼びかけを信じ人々はポル・ポトの元に集まりましたが、無慈悲にも名乗り出たものは虐殺されていきました。

そして次第にポル・ポトの虐殺はどんどんエスカレートしていきました。

歌手や俳優などのいわゆる芸能人、僧侶、有名人なども虐殺の対象となり、さらには文字が読めるというだけで「知識人」と見なされ処刑されたり、海外に行ったことがある、眼鏡をかけている、本を読んでいるなども知識人と見なされ虐殺されていきました。

 

キリングフィールドの残虐さ

さて、カンボジアの歴史を少し説明してまいりましたが、ここからは実際に訪れて分かったそのキリングフィールドの中身、残忍性を説明していこうと思います。

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↑外観はこのような感じ。この時点で既に張り詰めた空気感を感じます。

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↑こちらでは日本語音声ガイドを聞きながら場内をまわることができるのでカンボジアの歴史をよく知ることができます。

 

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ポルポトは「農民こそ英雄である」という信念のもとプノンペン市内を制圧し、人々は街から強制的に追い出され処刑場に連れていかれました。

家族はバラバラになり、街は3日で空っぽでからっぽになったそうです。

 

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こちらのヤシの木も殺害の道具に使われていたそうです。

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見てもらうと分かる通り、鋭く尖ったギザギザしたものがありますね。

本来鳥を絞める時に使っていたようですが、人間の喉を搔き切るためにも使われたそうです

想像しただけで心が痛い

 

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MASS GRAVE OF 450 VICTIMS

450人もの人々の死体がこの中に埋められていたそう…

ここだけでなく、キリングフィールドを歩いているとあちらこちらに穴が開いているのに気づきます。

なんとプノンペンのキリングフィールドだけでも2万人が穴に放り込まれていたとか…

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 犠牲者の方達が身に纏っていた衣服も展示されておりました。

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小さい子供のものと見られるものもありますね…

 

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こちらは「キリングツリー」と呼ばれ、この木に無数の赤ん坊が頭を打ち付けられ殺害されました。

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発見当時、周囲には脳みそが散乱していたそうです。

では何故知識人でもない赤ん坊まで殺害したのでしょうか?

その答えはポル・ポトの言葉にありました。

「雑草を取り除くなら根こそぎ」

つまり反逆者の家族からの報復を避けるために子孫まで根絶やしにしたのです。

 

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 ↑犠牲者の骨まで展示されていました。

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↑こちらの慰霊の塔には無数の頭蓋骨が何層にもなって展示されていました。。

いざ目の前にすると言葉がなくなります。

 

大虐殺の結果

後にカンボジアから亡命した人々で結成された軍隊とベトナム軍との連合軍でポルポト政権を攻めプノンペンを陥落させましたが、この際ポル・ポトから解放された国民の85%が14歳以下でした。

現在のカンボジアが他の東南アジアの国々と比べ発展が遅れている理由がそこにあります。

そしてこちらがカンボジアの人口ピラミッド

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 めちゃくちゃ極端…

 

おわりに

私はこのキリングフィールド巡っている間、一言も声を発することができませんでした。

それほどの悲しみと重苦しい空気感がそこにはありました。

カンボジアといえばアンコールワット!と誰もが思うかもしれませんが、ぜひカンボジアに訪れた際にはキリングフィールドを訪れてその悲惨な歴史に目を向けてみてはいかがでしょうか。